マレをはじめとする専門家によるコラム

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飾り キリスト教を信じるな! シリーズ第二回
By.マレ

ローマ教皇とは誰か?

初めにひと言お断りしておきますが、このコラムは、カトリック教会を批判するものでも、カトリック信者の信仰を傷つけようとする意図のものではありませんよ。
私の知人の中にカトリック信者の方もいますし、カトリック信仰の中で、大変素晴らしい働きをなさっている方は大勢いますしね・・。
これは、聖書の中身とキリスト教が必ずしも一致していないということを、情報として提供するためのものです。

その点、ご理解頂いた上でお読み下さいね。


ペテロが初代教皇なの?

ローマカトリック教会は、ローマ教皇をトップに全世界に広がる一大組織ですね。そして、カトリック教会は、その初代教皇がキリストの12使徒の一人「ペテロ」だと言います。
つまり、キリストから直接ペテロが教皇という立場をさずかって、それ以来、ずっと今日まで続いているというわけです。だから、カトリック教会こそ、地上に存在する唯一のキリストに正式に認められた教会であると。
けれども、聖書を見ると、そのようなことを裏付けることができる記述は、見あたらないのです。
聖書はペテロが初代教皇であるとは言っていませんし、イエス・キリストがカトリック教会を作ったとも言っていません。

確かめたければ、ご自分で新約聖書を隅々まで調べてみてください。

どこからそんな発想が出てきたの?

じゃあ、なんでカトリック教会はそのようなことを言っているのでしょう。実はそれは、以下に記すキリストの言葉によります。

イエスは12弟子の一人であるペテロにこう言いました。
この岩というのは、ペテロのことです。ペテロという名前は岩という意味なんですよ。
イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言ったのです。
上にというのですから、これは明らかに「この岩を土台としてその上に」という意味ですね。ですから岩というのは、教会の土台のことです。

つまりイエスはここで、この後、歴史の中に誕生する教会が、なんの土台の上に成り立つものであるのかを、前もって言ったわけです。
その土台こそ「この岩」だというわけです。
カトリック教会は、これをもってキリストがペテロを初代教皇に任命したことなのだと解釈し、ペテロこそ初キリスト自身に直接任命された巨大組織の土台であり、それが初代教皇の立場なのだと言うわけです。

けれども、お分かりのように、ここでイエスは「お前を初代ローマ教皇に任命する」とも言っていませんし、教皇という立場についても、全く言及していません。聖書には教皇という言葉は出てきません。
繰り返しますが、イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言っただけです。

これは、誰か人を特別な立場にするということよりも、この後に誕生する教会にしているということの方が無理のない聖書理解釈であることは明白です。


文脈を理解する

この出来事を、文脈の中で理解すると、教皇任命という解釈はいよいよ怪しくなってきます。

この会話がなされたとき、イエスと弟子たちは、ピリポ・カイザリヤ地方にいました。
そこには、ヘレニズム時代からパン神の神殿があり、またBC20年に、ヘロデ大王が建てた、総大理石のローマ皇帝崇拝のための神殿もありました。
そこはローマの神々のひしめく場所だったのです。

わたしは、古代エフェソスの遺跡を見学に行ったことがありますが、ローマ社会で神としてまつられていた偶像の建ち並ぶ古代の道を歩きながら、「ものすごい数の神々がいたもんだな〜」と圧倒されたものです。
何と言っても、古代エフェソスの中心地から港に向かってのびる数キロの街道の両側に立ち並ぶ神々の像や神殿の数と言ったら、もう圧倒されるばかりなのです。
ピリポ・カイザリヤもそのようなギリシャ・ローマの宗教的影響を色濃く反映している場所でした。

そういう風土、そういう状況の中で、イエスは弟子たちにこんなことを聞きました。
「人は、私を誰だと言ってるのか?」
弟子たちは、このように答えました。
「ある人は、あなたをエリヤの再来だと・・・」
「じゃあ、お前は私を誰だと言うのか」

この質問に対してペテロがこう答えます。
「あなたは、神のキリストです!」
これは「あなたこそ、メシアです!」という信仰の告白です。
すると、イエスはこの発言を受けて、
「このことをあなたに示したのは、神です。わたしは、この岩の上にわたしの教会を建てます!」と言ったのです。

イエスにとって、自分が直接任命した12弟子たちが「自分を誰だと信じるようになるか」というのは、非常に重要な問題でした。イエスの弟子訓練の最も重要課題は、弟子たちが自らすすんでイエスを「メシア」と告白するようになることだったのです。
なんと言っても、イエスはこの12人の男たちに、イエスの始めた宣教の業を託したわけですからね。
 
聖書の福音書を時間の流れでよく見ると、イエスの弟子訓練は、ペテロのこの信仰告白をさかいに劇的に変化します。
このときまで、イエスは弟子たちに、自分の正体については一言も明かしていなかったのですが、このペテロの発言をさかいに、イエスは自分が誰であるかをいよいよ具体的に話すようになり、また、この先自分を待ち受けている「受難」という恐ろしい運命についても予告し始めるのです。
そしてそのときのために、弟子たちに心の準備をするように何度も繰り返します。

この流れを見ると、ペテロの発言「あなたは神のキリストです」という告白は非常に重要な弟子訓練のターニングポイントであり、イエスはまさに、この告白を待ち続けていたことがわかります。この発言を受けて弟子訓練は最終局面に入るのですから。


「この岩」が意味するものは?

では、これはカトリックが言うように、ペテロを初代教皇に任命したことなのでしょうか?

「ペテロ。よく悟った。私のことをお前に明かしたのは神だ。お前はそれを悟ったので、お前を初代教皇に任命する」 というのがイエスの言葉の意味なのでしょうか?
先ほどからの繰り返しになりますが、どこからどう読んでも、たとえギリシャ語の原典で読んでもそのように理解できる根拠は言語学的には存在しません。

ペテロが告白した中味「あなたは神のキリストです!」これは繰り返しますが、「イエスを誰と言うか」という質問に対する答えです。ペテロは、イエスの弟子訓練の結果、ついに無数のローマの神々のただ中で、イエスのことを「メシアだ」と告白するに至りました。
するとイエスは、このペテロの告白を受けて「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます!」と宣言したのですよね・・・。
 
このときイエスが言った「この岩」とはペテロ個人のことだと思いますか?それとも、ついになされたペテロの「告白の中味」のことだと思いますか?
普通にストーリーを読むと、ペテロの告白した内容をうけて、イエスは反応したと理解できます。そう読む方が自然です。
もしそう理解するなら、「この岩(ペテロが告白した中味)の上に(土台の上に)私の教会をたてます!」という意味になります。

そして実際教会とは、「イエスをメシア」と認める告白の上になりたっています。イエスがメシアだと信じる信仰こそが教会の土台です。
ペテロはイエスに選ばれた使徒であり初代教会のリーダーであったけれども、教会がペテロという個人を土台としているという事実は聖書の他の個所のどこを見ても見つかりません。

特に、教会誕生から初期の大成長までも記した「使徒の働き」などを見れば、教会がペテロという人物を土台に建て上げられたものでないことはあきらかです。
私たちが唯一、モデル教会として認めることができるのは、誕生初期の教会の姿であることは言うまでもありませんね。そこにもっとも純粋なかたいの教会があったのです。

しかし聖書は、教会がペテロという初代教皇をたたえる組織であるなどということは、まるでどこにも記録していないのです。

教会とは、イエスをメシアと認める信仰を告白した人々の集りです。ですから、イエスのこの発言は「教会とは、この信仰の上に成り立ものだ」ということを預言したものだと言えます。

つまり聖書的に言うなら、ローマ教皇という立場そのものが、実は存在しないものであって、あくまでも人間の作り出した権力の象徴的な立場であり、ローマ帝国の政治的構造の伝統であるということが言えるでしょう。

もちろん、だからと言って、私はローマ教皇を認めないとか、軽視するべきだとか、そういうことを言っているわけではありませんよ。
 
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