レオナルド・ダ・ヴィンチの眼差し
残された膨大なデッサンやメモを通じて、彼の関心の対象が多義に渡った事が知られる。
たとえば実際の人体を解剖して描写したと思しき人体解剖図や様々な発明図は圧巻である。
しかしここで注目したいのは、自然界の事象に対峙したデッサンである。
それらには図鑑を作れそうな植物の精緻なデッサンもあれば、川を流れ下る水を、まるで時間を止めて描いたのではないかと思うほど正確に線描したものもある。
実際に水の流れを作って目を凝らして観察して描こうとすると、あまりにめまぐるしく変化する水流に、普通の人であれば目を回すことであろう。
さて、これら膨大なデッサンを見た時、レオナルドが自然界を貫く真理について想いをはせていたことに気づかされる。
ヴァザーリのルネサンス画人伝には、「レオナルドは自然の事物について哲学的思索にふけり、草花の特性を理解しようとしたり、天空の動き、月の軌道や太陽の運行を観察しつづけた。」(田中英道訳)とあり、レオナルドであれば生命の活動や空に輝く星の変化など、自然の調和ある営みの不思議を観察することで、その根底にある「理(ことわ)り」に思い至ることは、充分に計り知ることができる。
すなわちレオナルドの自然科学への眼差しは、彼の知識欲を満足させるだけに留まらず、彼の世界観、宇宙観をも形成し、芸術作品にまで表現し昇華することの出来た才能は、さらに自然界の事象を突き抜けて遥かに存在するこの地上の創り主に向けられていたと言えるのではないか。
今日も科学者は言う。
純粋な自然科学は、自然現象の中に潜む真理を追求すると。
また当時レオナルドは、富と権力に狂乱した人間の魂が享楽の世界へと堕落する姿を目の当りにしながらも、信念に満ちて絵画制作に取り組み自身の作品に神秘と深淵を描き込むことが出来たことこそが、真理に対する冷静な眼差しを持ち得たことの証であると確信するのである。
最後の晩餐から
今日、古典絵画に詳しい画家や修復家の間では、作品の信憑性について疑問が生じた場合、断言を避ける傾向にある。
これは近年、X線やコンピュータ断層撮影法(CT)を使用した作品分析により、使用された材料のみならず作者本人までが覆ることも珍しいことではなく、今後も解釈に変更の可能性が考えられるからである。
ルドヴィコ・イル・モロの依頼によりミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院食堂の装飾画として制作された最後の晩餐については、確かにレオナルドの作品であることに異論はない。
しかしイタリアの古典技法に詳しい画家や修復家の言葉を借りるならば、「あの壁画はもはやオリジナルではなく、よく出来た修復によって作られた、いかなる解釈も可能な複製品と思って見るべきもの」であろう。
今日に残るこの作品は、完成後から最悪の環境に置かれ続け、さらに身勝手な解釈による修復家たちによって幾度となく手直しされ、時には絵を剥がそうとして失敗もしている。
近年も1977年から約20年を費やして、女性修復家ピニン・ブランビッラの手による日本の和紙を使用した洗い落としが行われたが、画期的と報道されたこの修復作業も今は散々な評価である。
修復作業によって、「一点透視図法の消失点の釘跡の存在、テーブル上に魚料理が並んでいた、キリストの口が開いている、背景の左右の壁に花模様のタペストリがかけられていることがわかった。」とあるが、レオナルドがこのような所に無残な釘痕を残すだろうか、またテーブル上の静物は本当にレオナルドが描いたのか等疑問が随所に残る。
この壁画はレオナルドにしては珍しく、4年という短い期間で一応の決着をつけているが、レオナルドの存命中から画肌が変化して剥落し始めたことからも分かるように、そもそも壁とは相性の悪い卵や膠(にかわ)水で溶いた絵の具からなるテンペラで描き、制作途中からまずい兆候があったのではなかろうか。
穿(うが)った考え方かもしれないが、そうなれば彼自身制作途中で放棄する事も考えたのではあるまいか。
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」によると、レオナルド自ら二人の顔が未完であるとも述べている。
しかし、最後に一つだけレオナルドの心の真実と思しき言葉をここに紹介したい。
それは、二人の未完の人物の顔のことについての彼自身の言葉である。
「一つはキリストの顔で、これは地上に求めることは期待できない。…神は人間の姿となってあらわれたにちがいないが、その美と天上的な優雅さを思い描くことができないからである。それから、まだ描けないものにユダの顔があり、ユダについて思考をめぐらしたが、その残忍な心、数々の恩恵を受けたあとで、主でありこの世の創造者である人を裏切ろうと決心したほどの人物の容貌がどのようなものか、想像することなどとうてい不可能と思われる。」(田中英道訳)
レオナルド・ダ・ビンチは1519年、病床に在って受洗しフランス国王に看取られ75歳でこの世を去ったと伝記には記されている。
Profile--------- 沓間 宏(画家)
1954年生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修了。
テンペラ画及び油絵の古典技法について研究し、作品を発表。
90年代から西洋絵画の歴史と聖書との関係について感心を高め、現在は自身の作品にも聖書の世界観を反映させた作品を制作し、個展・グループ展・美術展などで精力的に活動中。
現在/春陽会会員、日本美術家連盟会員、横浜美術短期大学教授
作品収蔵(パブリックコレクション)/山梨県立美術館、チェンマイ国立大学美術館、女子美術大学美術館、青山学院大学
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